2019.12.7
中之島と蔵
当社PJ[中之島土蔵再生PJ」をおこなう中之島ですが、この都心に蔵が残っているのを不思議に思われる方もいらっしゃるかと思います。
中之島と蔵との関係はこの大阪を都市として発展したことと非常に密接な関係があります。
「天下の台所」とよばれた大坂ですが、それは豊臣秀吉の安土桃山時代ではなく、江戸時代になってからのことでした。
大坂夏の陣で荒廃した大坂藩主として赴任した松平忠明が復興事業として河川交通に着目し、京町堀川や江戸堀川などを開削し、河川交通の整備をしたことが蔵増加の始まりです。
主要な河川はもちろん大川であり、多くの蔵屋敷も建てられました。
PJの周辺には江戸時代に天満青物市場が開設され、食料品の集積地となり多くの蔵が建造されました。
一説には大塩平八郎の乱の火災も免れたといわれいるPJの土蔵をこれからじっくりと計画立てていきます!